ウガンダ カタクウィ訪問 2007年

RIJはみなさんの寄付がどのような変化をもたらしているか視察するため、世界中の避難民のコミュニティーを定期的に訪れます。紛争によって被害を受けた国から悲しいニュースを聞くのはまれではありません。しかし、私たちがコミュニティーで出会う人々は、たくましい生き抜く力を持っています。彼らは自分たちの家族とコミュニティーのために常にベストを尽くす姿は、とても印象的で励みになるものです。
訪問レポート: ルーテルンワールドフェデレーション - カタクウィプログラム、東ウガンダ
このプログラムはカタクウィにある3つの学校に6カ月の食糧と、先生たちのための家、そして事務用品を提供するプログラムです。学校食糧委員会は食糧とともに毎日の貯蔵残量を記録するためのレコードブックを提供されています。
紹介
2007年の3月と4月の間に、北ウガンダでごく短い停戦が締結され、反政武装勢力である神の抵抗軍(LRA)が政府との和平会議を開始しました。この動きに従って、1960年代から避難を強いられてきた家族たちを含めた約40万人が、人で溢れかえっていた避難民キャンプから自分たちの家にゆっくりと帰省し始めました。しかしこの帰省は、彼らの村のインフラ、給水場所、学校の不整備により停滞してしまいました。
私たちは、この和平会議によって安全状況が向上した時期に私たちがサポートしているプロジェクトを視察するためにウガンダを訪れました。そこで出会った人々の熱意にあふれた献身的な姿は実に感慨深いものでした。
東ウガンダに位置するアテソ地域は、カタクウィ、ソロティ、アムリアそしてクミという村々で構成されています。  カタクウィとアムリアの75%の人口が避難を余儀なくされている状況です。カタクウィから避難はカラモジャと呼ばれる反乱によって、そしてアムリアでは神の反乱軍とよばれる反乱軍の襲撃によって引き起こされています。カラモジャの問題は比較的緩和し、最近の襲撃は少なくなっています。
避難民キャンプの主要な問題の一つは、食糧保障です。キャンプ周辺での耕作には限りがあります。村に帰省して耕作することも可能ですが、再襲撃の噂が流れるたびに村民が村を離れてしまうため持続しないことが多いのです。
このRIJの援助によって2007年に企画された6カ月の学校食糧プログラムは、人々が家族のための食物を育てるために耕作に費やさなければならない時間をカバーすることを目的としています。
総合的な向上
この食糧プログラムは2007年2月に始まりました。それ以前は、子どもたちは自分の食べ物を学校に持ってきていました。このプロジェクトを通して児童、先生、そして両親たちによる食糧委員会が立てられました。この委員会の役割は食糧がどのように計算、調理、分配の管理をすることです。両親たちは子どもが空腹でなくなったことが嬉しく、委員会のメンバーの参加は定期的になりました。こうしてプロジェクトスタッフは、徐々にこの両親たちに委員会を彼ら自身で責任を持って動かせるよう、教育してゆきます。スタッフだけでなく、すでに引退をされたコミュニティーのリーダーもまた力を貸してくださっています。
70から100世帯を抱えるパラムキャンプでは、私たちの訪問のさいに親たちが果樹を植えるための穴を掘っていました。彼らには彼らの仕事とプロジェクトの関わりと、この仕事から生み出される利益を伝えました。
スクールカウンセラー
紛争によって負ったトラウマのせいで、避難民の子どもたちは病気にかかりやすく、荒れてしまいがちです。学校には劇、ダンス、ロールプレイを通して子どもたちのカウンセリングをするカウンセラーが配置されています。このプロジェクトによってこのカウンセラーがより配置されるようになり、子どもの学校への欠席率が減ると同時に出席率が高くなりました。同時に子どもの振る舞いも、より礼儀正しさが増しました。
現在の主要な問題は、教室の欠乏、先生の生徒に対する少ない割合、そしてスタッフの収容設備の未配置です。 近くの村では人口が増加傾向にあるため、学校の入学者数も増加すると見込まれています。
このカタクウィ訪問の間に沢山の人々と出会いました。これらはその人々たちが語ってくれた話です。

学校管理委員会委員長: RIJチームは、パラム避難民キャンプに住む子どもの親である、パラム学校の管理委員会委員長にお話しを聞きました。彼は7年間をキャンプで過ごしてきたそうです。5キロ先の村から避難してきたらしく、いくら安全そうに見えても危険を経験した村に帰りたいという気持ちはわかないそうです。他の村民たちはカタクウィやソロティに避難していきました。彼によると、この学校食糧プログラムによって家庭の負担が減り、子どもたちが精神的に安定し、結果として学校により出席しより多く学ぶことができるそうです。「子どもたちは今は幸せそうに家に帰ってきて、キャンプ内で問題を起こすこともないのです。」とおっしゃっていました。

学校調査員
アパライサは再移民の村です。言い換えると、キャンプに避難した村民たちがコミュニティーを再構築するために戻ってきた村ということです。村の人々の中には25年間をこの故郷の村から離れて過ごした人もいます。彼らの帰省にあたっては学校の委員会が彼らを迎えいれる形となりました。

学校調査員オリコさんはアパリサでのプロジェクトは成功だと言っています。学校の委員会が人々に共通の目標を与え結束さえ、プロジェクト以前は存在しなかったコミュニティーを作りあげたのです。