ウガンダ、アジュマニ 訪問2007

RIJはみなさんの寄付がどのような変化をもたらしているか視察するため、世界中の避難民のコミュニティーを定期的に訪れます。紛争によって被害を受けた国から悲しいニュースを聞くのはまれではありません。しかし、私たちがコミュニティーで出会う人々は、たくましい生き抜く力を持っています。彼らは自分たちの家族とコミュニティーのために常にベストを尽くす姿は、とても印象的で励みになるものです。
VISIT REPORT: Lutheran World Federation – Uganda Adjumani Program  
ウガンダ北西に位置するアジュマニのルーテルワールドフェデレーション(LWF)によって進められているプロジェクトです。国内避難民を受け入れている学校のキッチン設備を整えることで、彼らの衛生・栄養状態を向上することが目的です。
総合的な向上
2007年の3月と4月の間に、北ウガンダでごく短い停戦が締結され、反政武装勢力である神の抵抗軍(LRA)が政府との和平会議を開始しました。この動きに従って、1960年代から避難を強いられてきた家族たちを含めた約40万人が、人で溢れかえっていた避難民キャンプから自分たちの家にゆっくりと帰省し始めました。しかしこの帰省は、彼らの村のインフラ、給水場所、学校の不整備により停滞してしまいました。
私たちは、この和平会議によって安全状況が向上した時期に私たちがサポートしているプロジェクトを視察するためにウガンダを訪れました。そこで出会った人々の熱意にあふれた献身的な姿は実に感慨深いものでした。
アジュマニには公式の避難民キャンプが3つ、そして5万人の避難民と3万人の国内避難民を含む非公式のキャンプが3つあります。私たちは町から離れたところにあるオゴロキャンプのアリンヤピキャンプを訪れました。アリンヤピキャンプは2006年の1月に建てられ、6700の人々、家族単位では1499世帯が住んでいます。キャンプのリーダーの人々は初め3年間茂みに隠れて生活をしていましたが、暴徒たちが彼らのうち2人を殺し他の人々を誘拐したため、アジュマニに避難しました。キャンプでの生活の主要な問題は、子どもを学校に行かせるお金が欠如と高い製品価格です。中でも夫を亡くした未亡人女性と、父を亡くし母に率いられている家族は特に援助を必要としています。子どもたちは、紛争のトラウマを抱えているため病気になりやすく、乱暴になり荒れてしまう傾向があります。親たちの報告によると学校の食糧プロジェクトにより、子どもが空腹でなくなるため学校への出席率が上がり、集中力も高まり、そして行動も乱暴なものから丁寧なものに変化したとのことです。
国連世界食糧機関によると、この地区には7万5千人の児童が食糧を必要としているにも関わらず、75つの学校に24つのキッチンしか設備が行き届いていないそうです。RIJによって2007年に設立されたLWEプロジェクトはこのキッチン設備をさらに普及させるために開始されました。

総合的な向上
このプロジェクトに選ばれた3つの小学校では、コンロ、食器棚、貯蔵庫が確保されました。コンロは時間とコストを節約するだけでなく、発する熱と煙が少ないためより快適に使用できより清潔です。焚火にひつような薪にかかる費用が一年につき(=term)およそ7万円に比べて、このコンロを導入することでその費用が四分の一に減る計算です。また料理にかかる時間も、たきびだと4時間かかる料理がこのコンロを使うと2時間で作ることができます。
学校でのエコクラブの活動
残念なことに、アジュマニでの学校食糧プログラムはWFP(国連食糧計画)の補助金の不足が原因で継続が苦しい状況にあります。WFPは補助金の60%を削減しなければならないとしており、これにより学校で子どもたちに与えられる食事は朝のおかゆのみとなり、昼食は供給できなくなります。これを受けてLWFは学校で食物を育てる設備を整えました。LWFは学校のエコクラブをただで提供し。学校のエコクラブが費用をかけずに食物を育てられるようにサポートしています。

このアジュマニ訪問の間に沢山の人々と出会いました。これらはその人々たちが語ってくれた話です。
老人: 「私たちの村では暴動が起き、家は焼かれてしまいました。そのため、私たちは村民を集め、身の回りの物を持ってオゴロに避難したのです。警備の人たちが安全確保のためにどこにゆけばよいか教えてくれました。ある人たちは目的地まで2日も歩かなければならなかったのです。私は今も足の痛みに苦しんでいるのですが、最寄の病院が2キロ先のためなかなか治療を受けることができません。私は6人の家族を抱えています。もともとは農業をしていたのですが、ここオゴロでは農地として使える土地があまりないのです。」
パトリック、 24歳: わたしはキャンプに来て3年になります。わたしの村では暴徒に襲撃され、村民は家族を亡くしてしまいました。今までに2回襲撃にあい、2回避難しています。今は石炭を燃やす仕事でお金を稼いでいます。若者たちは今、教育の欠如と家族を支えなければいけない負担といった問題を抱えています。」
ジェーン、エレグ出身: 「私の村は襲撃にあい、5・6人の人々が殺されたため、自分の子どもを連れてオゴロに逃げました。私の夫のもう一人の妻も殺されてしまったため、3人の子どもが残されました。また私の義理の姉も亡くなり、彼女の4人の子どもも私が引き取りました。この7人の子供と私の4人の子どもを合わせて、11人を私一人で世話をすることになりました。現在は、家族を亡くしてしまったほかの子どもを合わせて、18人も面倒をみています。できることなら村に帰りたいのですが、この子どもたちの安全が心配です。これから私たちは自分たちの生活を建て直していかなければなりません。」
グロリア、メラクエ出身: 「私の村は反乱者によって常に襲撃を受けていたため、私は一度避難しそして後ほど帰省したのですが、再襲撃が起こり村の家々を取り囲んでしまいました。混乱の中を逃げている途中に、私は足を撃たれました。 病院に連れて行ってもらったのですが、銃の弾が骨を割ってしまい、足が変形してしまいました。今でも痛みに苦しんでいます。キャンプでの生活は楽なものではありません。さまざまな場所から沢山の人が集まってくるのですが、土地には限りがあるのです。」